Apple Storeトイレ事件はスタイリッシュ王の挑戦状なのか
少し前にローソンが自社ブランドのデザインを一新し、顧客からなかなかの不評をいただいていた。
ただ、不評の原因はデザインとしてダサいからではなく、「わかりづらい」という声が大多数だったように思う。
わかりづらい、と言っても豆腐のパケに納豆と書くような、スレが殺伐としてきた時に出てくるアスキーアートみたいな真似をしたわけではない。
私ぐらいの老になると、パスタと素麺を間違えて買うぐらいは朝飯前である。コンビニにくる客が全員、視力と判断力に優れた若人というわけではない。老若男女国籍問わず客がくるのだから、この場で一番求められるデザインは「ムカつくほどのわかりやすさ」なのである。
このように、デザインというのは太古の昔より、オシャレと実用性との殺し合いであった。
ファッションにしても昔から「オシャレは我慢」と言われている。
スウェット、ジャージ、着る毛布など、衣服としての機動力や楽さを追求すればするほど、ビジュアルは犠牲になる。
対してオシャレの最高峰とされているパリコレの服を普段着にしようとしたら、いかに職質に会わずに目的地に着くかタイムを競うRTAが始まってしまい、署にコースアウトするのも日常茶飯事だろう。
パッケージも同様であり、オシャレにすればするほど、それが一体なんなのかわからなくなってしまうのだ。
私が以前使っていた歯磨き粉のパッケージには、商品名よりもデカい明朝体で「歯槽膿漏(しそうのうろう)」と書かれていた。デザイン的には最悪だが、歯槽膿漏に悩む人が迷うことなく手に取れるというわかりやすさでは最高なのだ。
Appleは「スタイリッシュandシンプルの王者」
わかりやすさよりオシャレの方が優先される場、というのは実は少なく、それこそファッションやアートの世界ぐらいのものだ。
よって企業側も「わかりづらい」とクレームがつけば無視することができず、デザインを変えたり、オシャレデザインの上にテプラで「歯槽膿漏」的なわかりやすい表示をつけたりせざるを得ないという状況だ。
しかし、Twitter社がどれだけ俺たちが「俺のいいねをフォロワーのTLに出現さすな」と言い続けてもガン無視してインスタになろうとするように、ユーザーの使いやすさや声より信念という名のオシャレを貫き通す企業も存在する。
その企業とはもちろんAppleだ。
Appleと言えば、言わずと知れたiPhoneやiPadを生み出した企業であり、その製品は機能が優れているだけでなく、見た目もスタイリッシュなことで有名だ。
一方で、スタイリッシュandシンプルを極めたが故に「圧倒的説明不足」であることは否めない。
ある程度スマホやタブレットに精通している者なら良いが、初見の人間はどこが電源かすらわからず「iPadのボタン全部押す」という池の水式総当たり法で挑むしかない。
さらに、iPadの付属品であるApple Pencilはシンプルさを極めた結果「とても2万円もするとは思えないビジュアル」になってしまった。あまりに簡素すぎる故に、ガサ入れにきた税務署が「これが2万もするのか?」と難癖をつけたという噂すらある。
税務署が来ただけでもかなりの災難なのに、付属品に2万も取られた上に文句を言われるとは泣きっ面にドロップキックすぎる。もし次にApple Pencilをリニューアルするときが来たら、シンプルでいいからもう少し「金かかってまっせ感」を出してほしい。
Apple Storeのトイレがシンプルすぎると話題に
しかし、スマホやタブレットに関しては、付属のマニュアルを読めば電源と音量ボタンぐらいは判別することができる。先日、マニュアルを見ることすら叶わず、ユーザーを困惑させたApple Storeのある施設Twitterで話題になった。それはApple Store内のトイレだった。
日本のトイレには、水を流すだけではなく温水洗浄など、多数の機能がついている場合が多く、ボタンの数も多い。だがアイコンを見ればどんな機能かは分かるし、ボタンに機能の名前も書いてある。
Appleの世界では、もはや「文字を使うことすら野暮」であり、トイレのリモコンにも文字は使われておらず、ピクトグラムのみというストロングスタイルなのだ。さすがにAppleの自社製品ではないが、国内製の温水洗浄便座が普及している日本で、あえて海外製の便座を置くという徹底ぶりだ。
それでも作画原哲夫のケツに水が噴射されている絵なら、文字で書くよりわかりやすいグローバルデザインになる。だが、やはりAppleが置いた便座だけのことはあり、そのピクトグラムも極めてシンプルで、すごくわかりやすいとは言えず、「ボタンを押してみるまで自分のケツに何が起こるかわからない」という非常にスリリングな仕様になっている。
便所というのは施設の中でも最もわかりやすさが重視される場所だろう。わかりづらいピクトグラムのせいで「便所と思って駆け寄ったらエレベーターで間に合わなかった」という事態になれば訴訟もやむなしである。
だが、そんな場所でもデザインを重視するのがAppleなのだ。それが嫌ならもう使って頂かなくて結構、という覚悟でやっているに違いない。
ならばユーザー側も、パリコレの服を着るなら職質は覚悟しなければいけないように、Apple製品を持ち、Apple Storeのトイレを使うなら、思いもよらぬ場所に水を噴射されるぐらい覚悟を決めておかなければいけない、ということだ。