順位つけぬ校内マラソン 子どもの好奇心に応えているか
緊急事態宣言が解除されてから、走り方教室の指導役として小学校に招かれることが増えてきました。どの学校の子どもたちも元気に真剣に学んでくれています。今回はそこで学校の先生からうかがったお話を基に書かせていただきます。
先生方が授業をつくるのに際し、正直なところ、得意不得意があるそうです。国語、算数などの教室内の授業に比べて、体育授業の創造力の差は大きくなる傾向があるそうです。先生も一人の人間。万能ではない中で実情を知ったのでした。
特にランニングは「○周走りなさい」「○分間走りなさい」というノルマによる進め方に陥りがちで、創意工夫なしには楽しめる子も限られてしまうことでしょう。
例えば、走る動作をひたすら強いるのではなく、「ツイストジャンプ→笛の合図で30メートル走→スキップで元の場所に戻ってくる」など、複数の動作をつなげてストーリー性を持たせるだけでも変わってきます。
「変形ダッシュ」という練習法もあります。通常のスタート姿勢(体勢)ではなく、うつ伏せ、腕立て伏せの姿勢、後ろ向き体育座りなどの変則的な体勢で待機し、笛の音に反応してダッシュする練習です。これらは、あえて効率の良くないポジションから、どれだけ速やかに自分の体勢を整えて走り出し、加速をつけられるかを感覚的に習得する効果が期待できます。安全第一に、彩りあるプログラムを反映した授業になればと思います。
「競う」より「楽しむ」が小学校の教育指針に
これからの季節は、校内マラソンのような授業が増えてきます。私の小学生の時代は、校庭をぐるぐると周回して走り順位を競う形式で、全員を周回遅れにするくらいの意気込みで走ったのを覚えています。
昨今は「ランニングを楽しむ」という教育指針に変わってきて、「順位を競う」のは中学生以降ということになっているそうです。
そんな背景から「○キロ走」ではなくて、どのようなペースで走っても同一に終了する「○分間走」という形式で行われている学校が多いのではないでしょうか。中には1分ごとにBGMを切り替えるなどの演出を施しているところもあるようです。
うちにも小学生の子がおり、話を聞くと、トラック内の複数箇所から分散してスタートし、決められた時間(低学年3分、中学年4分、高学年5分)が経過したらストップ。その距離をそれぞれが覚えておくという手法で行われています。走った距離はわかるけれども、自身の順位はわからないそうです。
ここで「自分とはどのような人間であるのか?」という自分自身のイメージ、「自己概念」と「スポーツ」との関係について説明させてください。「自己概念」は人格の中核に位置付けられていて、その人の行動を大きく左右します。乳児期では「自分の体」とそれ以外のものとを区別する「身体的自己」として表れ、幼児期になると「運動的領域」「認知的領域」「社会的領域」に分化しはじめます。児童期には「情緒的領域」が加わります。さらに年齢が上がって、青年期には「道徳的領域」「職業的領域」が加わります。年齢とともに交友関係が変わることとも関連していると考えます。
児童期までは自己概念を構成している領域が単純なため、運動との関係が密接であり、「運動ができた」「やり遂げた」という達成経験によって「自分はやればできる」という運動の有能感を持てるようになり、運動好きにもなり、行動面でも積極性や協調性を示す好循環につながります。対照的に、この時期にうまくいかない経験が重なると、運動の無力感へとつながりかねません。運動嫌い、劣等感、行動の消極性にもつながる。そんな悪循環に陥る可能性があるようです。
こうした考え方から、本人の努力や過程を重視し、ほめてあげることが好ましいのだそうです。児童期には能力と努力の概念が分化していないために、努力への評価は、能力への評価と同じ意味を持つ。すなわち、課題志向的雰囲気の中で努力が認められると能力が評価されたのと同じことになり、不得意な子であっても有能感が高まるのだそうです(参考:日本スポーツ協会の「公認スポーツ指導者養成テキスト」)。
敗者が「グッドルーザー」となる教育も大切
ところで、大人は自ら決意してマラソン大会に出場しますが、価値観はどうでしょうか。整列する前の方にはタイムや好順位を目指すランナー、最後尾では「制限時間を目いっぱい利用してコースを楽しみたい」というランナーを目にしたことがあります。仮装して走るランナー、家族や友人と楽しむランナーなど、実に様々な価値観が共存し、お互いがマナーを守り、それぞれの価値観が毀損されずに運営されています。
校内マラソンでは、「競走」を強いることでの自己概念の毀損や犠牲を生み出さないという考え方は理解できます。一方で、自分がどれほど速いのかを知りたい、真剣に勝負したいという子どもたちの関心がうやむやなままになってしまう部分には、残念な気持ちになります。
私の教室の締めくくりに「コーチへの挑戦競走」を設けて有志を募ると、参加する子どもたちからは「手加減なしで本気で走って」と要望されます。出走せずに応援側にまわる子たちまで熱狂するのです。このエネルギーにも目を向けたいです。
先日出合った言葉に「チャンピオンがたたえられるのは、負けた人たちが本気だったから」があります。勝者をたたえ、憧れ、敗者がグッドルーザーとなる教育も大切だと思うのです。
「楽しむこと」が前面にあるというよりは、それぞれの価値観を見つけてそれに没頭して取り組んだ結果として、「楽しかった」という感覚が得られる。あえて順序を認識するとしたらそういうことでしょうか。
一方で「○分間走り通す」ということで統一されてしまうと、時間になるまでどうにか乗り切るという、質の低下に傾きかねないのではと危惧します。
これらの両立を学校教育に依存することには無理がある思います。それぞれの価値観でランニングに向き合える環境が「地域スポーツクラブ」「地元の大会」などとして身近に整ってくることを願い、ニッポンランナーズもスポーツNPOとしてできることに取り組んでいます。
最後に、子どもは同じ場所をぐるぐる回るよりも○○駅まで歩く、湖や沼を1周する、山頂を目指すといった、明確な到達目標に対して、ものすごい好奇心を持って取り組みます。「自分の足でどのくらい歩くとどこまでたどり着ける」、そんなリアルな達成感に包まれるかと思います。ぜひ、ご家族でもそんな時間を設けてみてはいかがでしょうか。
さいとう・たろう 1974年生まれ。国学院久我山高―早大。リクルートRCコーチ時代にシドニー五輪代表選手を指導。2002年からNPO法人ニッポンランナーズ(千葉県佐倉市)ヘッドコーチ、19年理事長に就任。走り方、歩き方、ストレッチ法など体の動きのツボを押さえたうえでの指導に定評がある。300人を超える会員を指導するかたわら、国際サッカー連盟(FIFA)ランニングインストラクターとして、各国のレフェリーにも走り方を講習している。「骨盤、肩甲骨、姿勢」の3要素を重視しており、その頭の文字をとった「こけし走り」を提唱。エッセンシャル・マネジメント・スクール特別研究員。著書に「こけし走り」(池田書店)、「42.195KM トレーニング編」(フリースペース)、「みんなのマラソン練習365」(ベースボール・マガジン社)、「ランニングと栄養の科学」(新星出版社)など。