妻の断捨離に怒り、心療内科ではしゃぎ、サウナで心のヘドロを洗い流す映画監督の日常
結婚19年。妻には殴られ罵られ、ふたりの子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々——それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!
『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。
【過去の日記はコチラ】
「通販生活」という雑誌で「反断捨離」生活に関してのインタビューを受けた。どこから嗅ぎつけていただいたのか知らないが、私がVHSや幼少時の絵本や小学生のころの連絡帳やらを捨てられないという情報を得た編集部の方から取材依頼をいただいたのだ。ウチのボロ家まで来て、ガラクタたちと写真を撮ったりした。
断捨離ブーム(ブームはとっくに終わって定着?)には迷惑をこうむっている。ただでさえ物をどんどん捨てる妻は、断捨離ブームに乗っかって私の服から靴から本、台本、眼鏡、パンツや靴下、猫にいたるまで許可なくがんがん捨てる。一度私のはく靴がなくなり、足のサイズが同じなので新しいものを買ってもらうまでの1か月ほど、妻の靴をはいていた時期があるくらいだ。有無を言わせず何でも洗濯してしまう「せんたくかあちゃん」という絵本があったが、妻の場合は「断捨離かあちゃん」だ。
捨てる理由は「だって邪魔だから」という信じられぬものだ。え、猫も!? まあ、猫の場合は勝手に人にあげていたのだが、私は三日三晩泣き明かした。
取材ではアンチ断捨離を語りまくってやろうと思ったが、五木寛之のようにそれに対するちゃんとした思想もないので、ただの妻の悪口になってしまった。
ちなみに私がVHSを捨てられないのは、中学生のころにどうしても見たかった「わらの犬」(監督:サム・ペキンパー)を、中学生にしては高額な1万5000円ほどの大金を出して通信販売で買った記憶が忘れられないからだ。当時VHSは高価だったのだ。
「激しい暴力描写……」という謳い文句に中学生の私はいったいどんな暴力映像が見られるのだろうかと現金書留の封筒を送って2週間、首を長くして待った(そのころはやたらと暴力が売りの映画を見たい願望が強かった)。ようやく届いて見た「わらの犬」は正直よく分からなかったが、あのときの商品が届くまでのワクワク感、再生するときのドキドキ感、見終わったあとの、理解できなかったけど面白かったと思おうと自分に嘘をついた小さな背徳感、そんな感覚を身体が覚えていてどうしてもVHSを捨てられなくなっている。
ほかの捨てられぬ品々もだいたい思い出がらみだ。だが、私が断捨離をしないもっとも大きな理由は、断捨離をしている妻を見ていて、どういう効果があるのかまったく分からないところだ。妻はいくら断捨離しても、イライラや怒りの沸点の低さなど何も変わっていないし(むしろ怒りながら捨てているから身体に悪い気もする)、部屋はすぐに散らかりまくる。「断捨離、意味ないじゃん!」などと言おうものなら、お決まりの最高につまらない、脚本家が寒すぎて絶対に書かないセリフが返ってくる。「お前を断捨離するぞ」と。
※妻の一言
確かに何でも捨てます。否定しませんが、猫に関しては第一子の産後直後の髪の毛逆立ちまくりの大変な時期に、夫が生後間もない猫を二匹拾ってきたので、自分の子どもと猫たちに四六時中ミルクをあげて、寝不足で死にかけていたところ、二匹の避妊手術をしてくれた近所の優しい獣医さんに「里親募集」の貼り紙を頼んだら、素敵なお嬢さんに二匹を引き取ってもらったのです(その人は今でも二匹の写真を送ってくれます)。捨てたわけじゃない!
朝から来月撮影予定の映画のロケハンで都内近郊を回る。昼過ぎには終わったので、うまいラーメンを食って、昼からビールを飲んでしまう。帰宅し、妻が作っていた極太恵方巻を、恵方角を向いて無言で食した(心の中ではありとあらゆる望みを伝えた)。
自宅にて「週刊大衆」さんに取材していただき「したいとか、したくないとかの話じゃない」について話した。大ベテランのカメラマンの方が、非常にユニークな方で、どんどん話に入っておいでになり、話下手な自分は大変助かった。
夜、オンラインにて娘の塾の三者面談。私も妻も参加したから四者面談になって、塾の先生が苦笑いされていた。
娘が塾の先生からの質問に何も答えられないことにイラつく。先生が「志望校を目指すためにも家での勉強時間をもう少しだけ増やしてみよう。せめて90分はしよう」というも、娘は小声で即「絶対無理」などと言う。
何かというと即「それ、無理」と言うのは、今どきの子どもにも大人にも感じる。もちろん自分自身も含めだ。「無理!」と言えるのは素晴らしいことでもあるのだが、無理のハードルがすごーく下がってしまっているような気もする。
とりあえず自分のことは棚に上げ、「少しでも頑張ってみよう!」という姿勢を見せない娘にがっかりする。親の欲目で見て、もしかしたら内心では「頑張ろう」と思っていても、気恥ずかしくて表には出せない性格なのかもしれない…とも考えたが、塾の先生がこれだけ全力で応援しているのに、即「無理」といとも簡単にのたまえるメンタルに驚いてしまう。
オンライン面談後、イライラして親子ゲンカが勃発しそうになったので、目をそらすためにすぐに娘の部屋から出て、「メア・オブ・イーストタウン」(監督・クレイグ・ゾベル)を見る。めちゃくちゃ面白い。ケイト・ウィンスレット主演&製作総指揮。ストーリーとは関係ないが、もはや定型の人だけをドラマの登場人物とするのは無理があるとも感じる。世の中にはいろんなタイプの人がいるのが当然で、このドラマはその当然のことを当然としてやっている。
昼から夕方まで、来月撮影の映画のリハーサル。途中、私小説家の西村賢太さんが亡くなったことを知る。新作が出れば読んでいた作家は西村賢太さんくらいだったので、ショックというのか一瞬動揺してしまった。
西村さんの書かれる「秋恵もの」と言われるシリーズが大好きで、いつか映画にするのが夢だ。だが、きっと私とは無関係なところで映像化されるだろう。自分からやってみたい! と営業してきた原作ではほぼ企画が通らず、競合になると負けてきた。もし西村さんの秋恵ものが映像化されたら、見にいった私は「何でこんなふうにしちゃうかなぁ……」と文句を言っている姿がものすごく目に浮かぶ。でもその作品の評価は高い。そのことも気にくわなくグジグジグジグジとずっと文句を言っているだろう。
午前中、映画を見てから高校の授業に向かう。授業も残すところあと3回だ。今日も生徒ひとりひとりと話す。
この高校は、普通の都立高校(単位制)ではあるのだが、小中学校時代に不登校だった子や、今の社会には少し馴染みづらい子が多く通っている(あくまで今の形の社会に馴染めないだけ)。そんな子たちを積極的に受け入れる学校にしようという立ち上げに、妻の高校時代のバスケ部顧問が関わってらっしゃって、話のネタに妻と学校を取材させていただいたときに、「どうせなら講師をやってみませんか?」とお誘いを受けたのが、講師をすることになった始まりだ。
正直お誘いを受けたときは「えー、それは面倒クサいな……」と思った。シナリオ学校の講師ですら、ロクな授業ができないし、普通の高校ともなれば授業のために用意せねばならないものや授業計画表みたいなものの作成とかあるような気がしたから「面倒くさい」と思ったのだ。そういう準備が私はとてつもなく苦手で、激しいストレスを感じてしまう。「レジュメ」なんて単語聞いただけで、その場から逃げ出したくなる。だが、妻が「話のネタにやれ」と言うので、私ができない所をあなたが怒らずに(怒らずにが大事)全部引き受けてくれるならということで、妻が「そうしてやるよ」と言うからやり始めたのだ。(妻はその言葉を2回目くらいで覆し、私の一般常識のなさを激しく糾弾し、正直かなり疲弊している)。
そういう学校であるからして、私にはこの学校の生徒たちはいわゆる「普通の学校」の生徒たちよりも、大人のウソや欺瞞を見抜く力に長けているのではないかという先入観があった。不登校だったり、社会には馴染めず生きづらさを感じている子たちは、散々ぱら口当たりの良い言葉を大人たちから浴びて来たのではないかという印象もあるからだ。
なので、話していてもどこかでこちらのことを見透かされているような気がした。生徒との話がちょっとでも弾まないと、「あ、この子はあまり話したくないんだな」と私は判断してしまう。
私自身が小中高時代、先生と話している時間は気を使うし、どうせ互いに本心など話さないのだから早く解放してほしいとだけ思っていた。その経験に当てはめて、この子もさっさと話を終えて解放してほしいのだろうなと思い、そうしようとする。だが、妻は話を延ばす。しかもひどくつまらなくて無駄なことを言って延ばしているように私には感じる。「生徒もそれを見抜いているぞ、分からないのか! 空気読めよ!」と妻にイライラすることがあるのだが、終わってみると生徒は「話せてよかったです。もっと話したかったです」と言うこともあり、今さらながらに人はひとりひとり違うのだから、自分のちっぽけな経験だけにあてはめられるわけがないのだと、自分の浅はかさに気づく。
せっかく気づいて、謙虚に自分自身を見つめ直しているのに、妻から「生徒はあんたじゃないから」などと指摘されるのでムッとして、授業中、生徒の執筆タイムなどに、前のほうでこそこそ(でもなく普通にか)ケンカになってしまうこともある。教師という職業は、限られた数年しか子どもを見られないから、その間に多くの絶望と数少ない希望とにもみくちゃにされてしまうタフな職業なのだろうなあと感じる。
息子と中野のブロードウェイにフィギュアを買いに行く。娘もまんだらけに行きたいとついてくる。昼飯にパスタ店に入って、娘が息子のパスタを一口よこせだのなんだの言って、一口以上食べたとか食べないとかで姉弟ゲンカをしていた。うるせえなと思った。
その後に、息子はジェイソンかレザーフェイスのフィギュアを探すが見つからない。完全に執着が始まっているのだ。メルカリでは待てずに今日来たのだが、ない物はない。
数時間ウロウロしたあげく、ブギーマンを見つけてようやく大はしゃぎで買った。ホラー映画ばかり見ている息子は今、ホラーのキャラクターの人形がほしくて仕方がないのだ。
土曜登校で学校に行っていた息子が「やったー!!学級閉鎖になったよー!!」とバカでかい声で帰宅。クラスに欠席者4人のため今日から火曜まで休みだそうで、家から出ちゃダメ!と言われたとのこと。家で仕事が全然できなくなると思うと、軽くめまい……。
学級閉鎖で家にいる息子とずっと映画を見ながら、仕事。妻が家にいると息子の妻執着がはじまり、常に妻が隣にいないと癇癪が出てしまうので、こういうときは妻はさっさと家を出る。
「悪魔のいけにえ2」と「13日の金曜日」と「ドント・ブリーズ」を見た。いっときホラー映画ばかり見ていると殺人鬼だかサイコパスだかになるとされる風潮があったような気がするし、今もあるのか知らないが、そういう人はほぼ生まれつきなのではないかと思う。もうどん底に不幸だ。
私は生まれつきだと思うが、後天的なこともあると考える妻は、息子にホラー映画を見せることをよしとしない。すごいエログロの描写を見たとき(馬が縦に割れるとか)脳内から変な麻薬のような興奮物質が分泌され、それの快楽がハンパなく、結果依存に至るというのだ。それもホントかよと思うが、とにかく今、息子はホラーしか見ないのだからしょうがない(あとはたまに冒険ものやアクションもの)。
それに私が息子の相手をして、妻はどこかに出かけるのだから、エロ動画を見せるわけじゃなし別にいいじゃねえかと軽くケンカモードになってしまう。
「悪魔のいけにえ2」はもう何度も見ているが「13日の金曜日」も改めて見ると怖かった(ジェイソンのお母さんがめっちゃ怖いし、映像も生々しい)。小学生のころに見て、最後まで生き残るおねえさんに恋をしたのだが、今見てもやっぱりとてもかわいい俳優さんだった。ウィキペディアによると、エイドリアン・キングという名の俳優さんで、映画公開後にストーカーに狙われて、俳優業をやめてしまったらしい。
息子はずっと私の膝に座って見ていたが(もう小3なのでなかなか重い……)心拍数が半端なく、あのラスト付近の湖からジェイソンでどんな反応がくるかのと期待していたら、案の定飛び上がった。その反応がめちゃくちゃうれしい。人を笑わせるのと同じくらい、怖がらせるのもクセになるのだろうな、きっと。
夜、娘が学校支給のタブレットを自部屋に持ち込んでずーっと何かしている。「何してるんだ?」と聞くと「学校の課題。いちいち聞いてこないでよ、うるさいな」と不貞腐れて答えるので、ムカつく。
娘は普段、家では一切タブレット学習などやらないのに、定期テスト1週間前のスマホ禁止期間に限って、必ずタブレット学習をする。絶対に勉強なんかしているとは思えない。私自身が一切勉強しなかったので、こういうときに子どものことが信じられないのだが、証拠がつかめないのでイライラする。なんとか尻尾をつかみたいのだが、機械に弱い私は履歴の見方も分からない。
息子の部屋で寝落ちしていた妻の横に行き(息子の部屋は私たち夫婦と息子の寝室)、「娘が怪しい。絶対に怪しい」とぶつぶつ言いまくっていたら、「お前うるさい! この過干渉野郎! すっこんでろ!」とものすごい勢いで怒られた。妻は睡眠を邪魔されるとものすごく不機嫌になるのだが、過干渉の度合いが分からない。
妻の暴言に横でマンガを読んでいた息子がケタケタと笑いだす。夫婦ゲンカが始まるといつも息子はケタケタ笑う。笑ってやり過ごすしかないと思っているのだが、いくら寝入りを邪魔されたと言ってもそんな息子のことはお構いなしで妻が怒るものだから、いろいろ溜まっていた私もカーッ!となり、意地でも出て行くかモードにめでたく突入。怒っている妻の声に負けじと、横に寝そべってそれまで以上に大声でベラベラまくしたてると、妻が「お前、今すぐこの家から出て行け!! お前は家族全員に嫌われてんだよ!!!!!!!!」とブチギレて私を布団から追い出そうとした。
そのとき、偶然にも裏拳的に妻の手首が私の高い鼻をとらえた。それがかなり効いたのと、私もいろんな不満を抱えているため、もれなく爆発し、妻の枕元にあった週刊文春を壁に投げつけた。痛む鼻を片手でかばいながら7回くらい叩きつけた。以前、妻が私と子どもたち3人に同時でキレたとき、何枚もの皿を叩きつけて割ったことがあり、なぜかそれを思い出して、私はその復讐もかねて週刊文春を壁に投げつけてしまったのだ。普段、激高することのない私の豹変ぶりに、息子は一瞬キョトンとしていたが、目をつぶり、耳を抑えて泣きだしてしまった。
「あ、やってしまった……」と思ったときは手遅れだ。妻は心底私を軽蔑したような目つきで見ると「この面前DV野郎が。どんだけ子どもを傷つけたら気が済むんだよ、死ねよ」と吐き捨てた。
その言葉にしたって面前DVだろうし、そういう意味では今まで通算するとどっちがDV野郎だとは思うのだが私はこれ以上の抵抗は試みず、黙って部屋を出た。
もしかしたらこれが更年期障害というやつなのだろうか。怒りのコントロールができずに、悪霊が憑依したようなエクソシスト状態になってしまったのだ。
そんな自分に激しく自己嫌悪しながらも、被害者意識のぬぐい切れない私は、(以前どこかで被害者意識の使い方が日本ではネガティブな方向になっているとどなたかが書かれていたがまったく私もそう思う。今日の私の場合は悪い方の被害者意識かもしれないが)
「俺が悪いのか……? これは俺だけのせいなのか……! 確かに週刊文春は投げたが。鼻に裏拳入れたお前とどっちがDV野郎だ!?」と心の中で叫んでいた。
でも、誰も私の心の叫びは聞いてくれないし、誰にも届かない。孤独に打ちひしがれて、ひとり泣きながら寝る。鼻血は出なかったが、まったくもって血のバレンタインだ。
妻と高校教師。その前にいつもふたりでランチをするので、一昨日の血のバレンタインからの険悪な雰囲気でランチは嫌だなと思いつつも、早く仲直りはしたいので何事もなかったかのように「今日は授業とランチの前に、午前中に映画でも見に行かない?」と誘うと一刀両断のもとに断られ、「でも、ランチは行ってやる。お前とは行きたくないけど、どうせひとりで行くだろうし、お前だけうまいものを食ってるとハラワタが煮えくり返るから」と言った。
そこまで私のせいにして、うまいものを食いたいのかと思ったが、それは言わなかった。
私はひとりで「三度目の、正直」(監督:野原位)を見に行く。俺たち男ってこんなにバカなのか!? こんなふうに描かれなきゃダメなのか! と思ったが、一昨日の言動を思うとダメなのかもしれない。
その後に妻が先に入っていた店に行く。ランチ中、妻は一言も口を聞かなかった。それでも食うのだからすごいというかなんというか……。
店を出たあとに一言だけ、「お前を心療内科に連れて行く」とだけ言った。自分はしょっちゅう激高しているくせに、なぜに私が一度だけそうなっただけで、連れて行かれねばならないのか!と思ったが、どうせならそこで妻への不満もぶちまけてやろうと密かに思い、「分かった」とだけ答えた。
9時半から妻とメンタルクリニックへ。1時間待ち、30分先生と夫婦問診。
まずは妻が「この人、先日、夜中に本を壁に10分間投げ続けるという今までに見せたことないような怒りを見せたんです。しかも眠ろうとしている子どもの前で。子どもは情緒不安定なんです。それまでも怒ることはあってもあんな感じで怒りを出す人じゃなかったし、子どもの前ではしませんでした。仕事や育児に追い込まれてるとは思うのですが、さすがにこれはまずいなと思いまして、私ひとりではもう受け止めきれないので連れてきました」などと、夫を心配する良妻ぶった言い方をするので、すかさず私は「以前、妻が何枚も皿を叩き割って、その方法は怒りを鎮める特集の雑誌にあったとかで、それの真似を思わずしてしまったのと、その前に罵倒されて妻の裏拳が鼻に入って、ほんとにそれが存外に痛かったので思わず激高してしまったのです」と言うと、妻は私を見つめ「お前、そうきたか……」みたいな顔をした。結果互いに不満をぶつける形となった。
結局、「うちは心療内科ですので、足立さんの場合は夫婦カウンセラーに行かれたほうがいいかと」と言われた。私は大満足で「思った通りだよ! 夫婦カウンセリングに行きたいな! もしも全世界で、パートナーや子どもを月に一度かえなければならないなんて決まりができたら、世界は平和になって、戦争もなくなりそうな気がするんだよ」と千回くらい妻に話していることを、なぜかまた話しだしてしまったのだが、妻は私を無視してさっさと帰ってしまった。
※妻より
異議ありまくり。開いた口がふさがらない。
寝入る直前の息子の前で、要約すると「俺をいたわれ!俺を認めろ!俺にもっと優しくしろ!」というような旨を大声で叫び、私の愛読書「週刊文春」を壁に投げ続けるというDV行為をし、聴覚過敏で繊細な息子はひたすら耳を押さえ、涙をポロポロ流す始末。
仕事が忙しい、家族が自分の思うようにならない、ということであそこまでキレられても、私じゃもう無理。受け止めきれません。心療内科に行かせるしかないでしょう。
でも、行ったら行ったで楽しんでいるようで、「次は夫婦カウンセリングに行ってまいります!!」と敬礼せんばかりに元気にのたまいやがった。まさに西村賢太氏の描く、リアル貫多になりつつあります。貫多にならなくていいから、西村氏になれと言いたい。あ、一緒か。でも、私も西村賢太氏の小説を好きでした。あ、だからこんな夫と一緒になったのか……合掌。
早朝から息子がYouTubeで「おぱっい」と発音しにくい言葉を検索しているのを発見。もちろん「おっぱい」のことだ。私に見つかり恥ずかしそうにヘラヘラしながら「ママがいいって言った」と無理矢理な言い訳をしてくる。
小3にしてすさまじい動画を見ていると嘆いてらっしゃる息子と同級生のお母さまお父さまもいらっしゃるが、もう本当にネット上は性の無法地帯だ。家でセキュリティをかけても、教会などの溜まり場で中学生たちからさらにひどい動画を見せてもらったりしている。もう家庭と学校の性教育で対応するしかないのだが、ロクな性教育を学校からも家庭からも受けてこなかった私としてはどうしていいのか分からないのが正直なところだ。
とりあえず子どものころに母親に読み聞かされた「ぼく、どこからきたの?」を慌てて読み聞かせた。セックスに関しての説明と、相手がイヤだと言ったらしないこと、大切なゾーンの話などはしていたが、それ以外の何をどう伝えていいのか正直分からない。
「おぱっい検索」について少々注意すると、息子は「父ちゃんだってエロい本を書いているの、知ってるからね」と言われた。
その後、銀座に向かい、小中学生たちとリハーサル。途中の雑談のときに、息子のエロ相談をしようかと思ったが、バレンタインの話になって盛り上がる。リハーサルには小5から中2の男子7人が来ているが、みんななかなかの美男子で、性格も良い。だが、チョコをもらった子は2人しかいなくて、みんな悶絶していた。
ちなみに、中二の娘が毎日学校支給のタブレットを自分の部屋にこもって2時間やっていると相談したら「それ、絶対セキュリティ外してYouTubeとか見てますよ~(笑)」と言われ、「やっぱり」と腑に落ちる。
昨晩から妻と8時50分の「アンチャーテッド」(監督・ルーベン・フライシャー)を見に行く約束していた息子だが、急遽私も行けることになり(予定が飛んだので「俺も行く!」と妻に頼んで予約してもらったのだ)、朝、起き抜けに「『アンチャーテッド』、楽しみだね~パパも行くからね~」と息子のほっぺをなでなですると「え!! ママとふたりがいい!」と始まり、たちまち不機嫌に。
挙げ句、「父ちゃん行くなら、僕行かない!」となった。息子は妻とふたりで映画行く気持ちでいたのに、私が一緒に行くことが予想外すぎて気持ちをコントロールできなくなったのかもしれない。だが妻は「毎晩夜居ないのに朝トップスピードで距離詰めようとするからこうなるんだよ!」と不機嫌になってしまった。
仕方なく8時15分に妻と家を出て、「アンチャーテッド」を見る。息子は映画を見ながらペラペラ話してしまうため、周囲に迷惑がかからないように前から2列目の一番はじの席を予約していたので、見づらくて仕方がない。しかも吹き替えだ。
息子に合わせて選んだ映画を、険悪な私と妻のふたりだけで見ると言うのも虚しい気持ちになる。映画が終わると、外は天気が良かったので、「このまま散歩でもしてランチでも食べに行く?」と優しく妻を誘うと、「いい。私はスーパー銭湯に行く」とのこと。「え、ひとりで?」「当たり前じゃん。ついてこないでよ」「いや、俺も行きたいし、ちょうど行こうと思ってたから」と意味不明なことを言うと、大きな舌打ちが聞こえたが、聞こえない振りしてついて行った。
映画館の近くにあるスーパー銭湯は映画の半券を持っていくと、割引になるし、水着も無料貸与してくれるのだ。妻と仲が良かったころは映画のあとにちょくちょく来ていた。
水着を借りると、混浴露天風呂と混サウナも一緒に入れるので、それにしようと提案したら、嫌だと言われたが、粘って何とかそうした。混浴と混サウナで、ここ最近の互いの不満や子どものことなどドロドロとした部分を話しまくり、汗とともに流し切れはしないが、少しだけすっきりした。体重も1.5キロ落ちていた。
が、その後に久々に飲んだ黒ビールやハーフ&ハーフが思いのほか美味しくてたがが外れ、結局天ぷら定食やとんかつ定食(両方ともご飯大盛り)を食べてしまう。妻だけ夜まで残って日ごろの疲れをとってもらい、私は子どもたちの夕飯を作りに一足先に帰った。いい夫でしょ? と言いたいところを我慢した。
※妻より
黙浴が推奨されている露天風呂とサウナで、夫は甲高い声でずーっと喋っていました。周囲の視線が痛かったですが、夫のヘドロは垂れ流しまくりでスッキリしたようです。逆に私は蓄積されました。
2月24日(木)
早朝出発でスタッフの皆さんとともに車で飛騨にロケハンに行く。だが大雪で、飛騨市の雪もハンパない、2メートル超えている。映画は春の設定の話だし、この雪がどのくらい残ってしまうのかとても不安だ。
岐阜県もまん防期間中で、飲みにもいけず、夜も静かにすごした。そしてロシアとウクライナの戦争が始まってしまったが、私は自分の仕事と家族のことに手一杯だ。きっとそんな人は多いだろう。それは戦争をしている国でもそうかもしれない。
前にタモリが「人間に『好き』という感情がある限り、戦争はなくならないんじゃないか」みたいなことを言っていた。なくならない理由はいろいろあるだろうが、ほとんどすべての人が戦争はなくならないと思っているだろう。
私は仕事と家族のことに手一杯だからこそ、「死ぬのは嫌だ。怖い。戦争反対」(スネークマンショー)。
昨夜遅くに飛騨からもどり、今日は午前中から夕方までリハーサル。疲れた。
夜は池袋シネマ・ロサに向かう。今日から「稽古場」の公開だ。1週間の限定レイトショーで、この日記が公開されるころには、上映が終了していると思うが、ひとりでも多くの方に見に来ていただけるとうれしいです。
娘がこの日から野球に復活した。今までクラブチームの野球で人間関係に悩んでいたが、今は学校の部活で人間関係に悩んでいる。どこに行っても人間関係からは逃れられないのだから、逞しさを身に着けてほしい。野球に関しては丸々2か月休んで、2週間に一度の参加、試合は出ないという条件で復活するというのは、「はぁ? 何だそりゃ。だったらやめろ!」と言いたくなるが、もしかしたらある意味では逞しいのかもしれないが。
今月劇場で見たその他の映画は「ノイズ」「大怪獣のあとしまつ」「ブルー・バイユー」「スタンド・バイ・ミー」「ウエスト・サイド・ストーリー」「誰かの花」「ちょっと思い出しただけ」「ゴーストバスターズ/アフターライフ」「夢見る小学校」
【過去の日記はコチラ】
【プロフィール】
1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作「百円の恋」が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品「佐知とマユ」(第4回「市川森一脚本賞」受賞)「嘘八百」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「こどもしょくどう」など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が東京国際映画祭最優秀脚本賞。現在、新作の準備中。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『したいとか、したくないとかの話じゃない』(双葉社・刊)。