視覚障害選手を支える「ガイドスキーヤー」って? 一緒に滑ってコース情報や位置取りを伝達
雪上で視覚障害選手の「目」となる。4日開幕する北京冬季パラリンピックに、藤田佑平さん(29)=スポーツフィールド=はノルディックスキー距離の選手と2人1組で滑って誘導するガイドスキーヤーとして参加する。障害にかかわらず誰もが公平に戦うというパラの根幹を支える存在だ。(高橋淳)
本番会場で調整する有安諒平(右)とガイドスキーヤーの藤田佑平さん=張家口(共同)
◆声で指示、勝負どころも見極め
左カーブが迫る。「3、2、1、左、左、左、曲がります」。カーブに入った。「左、左、左…。曲がりきった」 藤田さんの口元に小さなマイク、背中にスピーカー。選手の3、4メートル前を滑り、目まぐるしく変わるコースの情報を声で伝える。他選手を追い抜く時には位置取りを指示。手首に着けた心拍モニターで選手の疲労度を確認し、勝負どころも見定める。レース後は「頭がめちゃめちゃ疲れる」という。 北海道出身。距離の選手から指導者を志して2015年に早稲田大大学院へと進み、日本障害者スキー連盟の関係者からガイドに誘われる。未知の世界に興味をひかれ、二つ返事で引き受けた。ガイドの指導法が確立されていない中、コンビを組んだ全盲の選手と事あるごとに対話を重ねて、最善の形を探った。18年、韓国・平昌でパラ初出場を果たした。本番会場で調整する有安諒平(右)とガイドスキーヤーの藤田佑平さん=張家口(共同)
◆コーチ兼任、半年で出場権
北京でペアを組む弱視の有安諒平(35)=東急イーライフデザイン=との出会いは19年5月。平昌で支えた選手が一線を退き、新たなパートナーを探していた。昨夏の東京パラにボートで出場した有安が、トレーニングの一環としてスキーを取り入れようとガイドを探していたタイミングとも重なった。 「スキー初心者」の有安に対して、コーチも兼ねる。まずは用具を触り、板を履いて「よちよち歩き」から基礎を固めた。新型コロナウイルス禍では、互いの自宅をオンラインでつないでトレーニング。東京パラ後に有安がスキーに専念すると、合宿や海外遠征など「家族よりも長い時間」をともにした。東京大会延期で北京への準備期間はたった半年。それでも、ボートで鍛えた背筋や基礎体力がスキーに生きて、大会直前でぎりぎり出場権をつかんだ。 レースは長くて20キロに及び、スピードは40キロを超える。ガイド個人の走力アップも欠かせない。メニューの一つが「音楽を聴き、曲を口ずさみながら滑る」。狙いは、呼吸のリズムをあえて乱すこと。意図しないタイミングで声出しが求められるレースを想定したトレーニングだ。◆パートナー選手の背景まで理解
ガイドをする上で「パートナーの目の前の姿だけを見るのではなく、背景を知り、接する」と胸に刻んでいる。平昌で組んだ選手とある時、言い争った。大学時代まで選手として第一線でやってきた感覚で「アスリートならこれぐらいやって当然」と考えをぶつけた。返ってきた言葉は「俺には俺の背景がある」。その場で初めて、障害を負った経緯やトレーニングにかけてきた思いなどの「生きざま」を聞き、「結果的に自分の価値観を押しつけていた」と気付いた。この経験が今も糧となっている。 有安は「藤田君」と呼ぶ年下の相棒を「一心同体」と信頼を寄せる。藤田さんも「諒平さんのポジティブさや優しさは、苦しい時にすごく支えになっている。頼れる存在」 2月下旬から本番のコースで滑り、イメージを膨らませてきた。トップ選手との差は大きいが、まずは入賞を目指す。ガイドもメダルをもらえるため、いずれ2人そろって表彰台に立つことを夢見て。【関連記事】北京パラリンピック、現地の関心低く 市街地バリアフリー化も道半ば関連キーワード
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