ゴミ屋敷で育った20代女性の苦悩 両親は自己破産、資金援助も ムカデが這う「ゴミ屋敷」で育った20代女性の苦悩
「同じような境遇で苦しんでいる子に、少しでも『なんとかなるものだなぁ』と思ってもらえたら」。そう連絡をくれた彩矢さんの話を、ここに届けます。
「今日要るから5万くれ」甘やかされて育った父の横暴
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両親と妹と4人で暮らし始めたのは、彩矢さんが幼稚園の年中の頃でした。それまで父親の実家に住んでいたのですが、父が作った借金が発覚して祖父母から追い出されたのです。当時、父親はよくパチンコ店に通っていました。
移った借家が片付いた状態だったのは、「引っ越した直後の、ほんの一瞬」のみ。それからは「ゴミと虫と蛇、ネズミとの共同生活」でした。
小学生の頃は、学校が終わると母の実家である伯父の家で過ごし、夕方になると仕事を終えた母が迎えに来て「ゴミ屋敷に帰る」毎日でした。このとき、母の兄嫁からよく思われていないことは、子どもながらによくわかっていました。もともとその家も大所帯でしたし、彩矢さんの両親は彼らにも多額の借金をしていたのです。彩矢さんはこの家でいつも「いい子にしていなければいけない」と感じていました。
母親は当時も今も、フルタイムでパートの仕事をしています。父親は一時期、会社勤めをしてそれなりの給料をもらっていたのですが、気に入らないことがあると怒鳴り散らす横暴な性格だったために解雇され、今は別の仕事をしているそう。
「父は5人きょうだいで、上4人が全員お姉ちゃんなんです。5人目でやっと男の子だったので、祖父母がすごく甘やかして育ててしまって。欲しいものは何でも買ってあげる、みたいな生活だったので、それで父が実家のお金を全部使い切ってしまった感じです」
両親は毎日、喧嘩をしていました。見栄っ張りで、都合の悪いことはすべて人のせいにしたがる父親は、気に入らないことがあれば妻にも子どもたちにも平気で手をあげます。母親も「しおらしいタイプではなかった」ので、夫を殴り返したり、罵ったり。聞くに耐えかねたのか、妹は一時期、心因性の難聴を発症していました。
「父は、朝になって突然『母ちゃん、今日までに絶対5万要るから、5万くれ』とか、その当日に言うんですよ。小心者なので、怒られると思って前もって言えなくて、もう絶対今日払わなきゃいけないというときに『何万くれ』って言い方を母にしてくるんです。『そんなのあるわけないじゃない』『でも今日払わないとどうにもならない。返すって約束しちゃったんだ』みたいな喧嘩を、毎日のようにしていましたね」
Gが手を這うのは序の口、台所は「ナウシカの腐海」
彩矢さんから聞いた「ゴミ屋敷」の現実は、筆者の想像を何周か上回るものでした。ここからしばらく、虫や爬虫類が苦手な方は、読まないことをお勧めします。
裏が雑木林の、古い一軒家です。それはもう、いろんな生き物が入ってきました。夜、暗い部屋で携帯をいじっていると、明かりに吸い寄せられたゴキブリが手をのぼってくるのは序の口。そんなものは「振り払えばいい」のですが、ムカデには困りました。
「刺されると腕がパンパンに腫れて、すごく痛くなっちゃう。見た目もグロテスクですし、一番怖かったです。部屋のなかにいっぱいいるんですけれど、ゴミで床が全然見えないので、たまたま壁を伝っているのを発見したのを殺すしかない。ムカデって大体つがいなので、一匹いたときは必ずもう一匹いるから、ゴミの中を漁って探して、妹とふたりでフマキラーでシュッとやったりしていました」
蛇は、跳ぶのだそうです。
「最初は壁の上のほうを蛇が這っていて、『蛇だ!』となったんですけれど。蛇って跳ぶんですよね。ジャンプ力がある。ふつうの家なら蛇がいたらわかるんですけれど、うちはゴミだから、上から下に蛇がダイブした瞬間に、もうどこにいるかわからないんです。すごい一生懸命探して、最後は父が絞めていた気がします」
そもそも一体、床が見えないほどのゴミというのは、何なのか。
「本当に生活のゴミですよね。全部ありました。台所はもう、ナウシカの腐海みたいになっているんです(笑)。食器がいっぱい溜まって洗えないから、ずっと紙皿と割り箸で生活していたんですけれど、食べ終わったらそこらへんに放り投げる。そうすると、当時室内飼いしていた犬が紙皿をなめてくれるので、それがどんどん積み重なっていくんです」
座る場所はありませんでしたし、寝る場所もなくなっていきました。
「最初は2段ベッドに私と妹が寝て、親は床に布団を敷いて寝ていましたが、ゴミでお布団を敷けなくなり、ムカデも出るので、布団は撤去して。父と母、私と妹、みたいな感じで、2人用の2段ベッドに4人で寝ていました」
中学生の頃は2、3年間、お風呂を使えなかったこともありました。給湯設備が壊れたのですが、「ゴミ屋敷すぎて、修理を呼べなかった」からです。このときは3、4日に一度、近所の銭湯に通っていましたが、どうしても髪の汚れが気になるときもありました。
「いま思ったら絶対、友達は気付いていたと思うんですけれど。今日はさすがに髪がベタベタだと思う日は、自分から『今朝ワックスつけすぎちゃって。ベタベタしてない?』って笑いにもっていこうとしたり。フケが出ても、『さっきチョークの粉かぶっちゃってさ』とか。もう『言わないで』みたいな感じで、自分から」
幸い、友達はみんな「あ、そうなんだ」と受け流してくれたということです。
家での食事は、ほぼスーパーの総菜でした。弁当が必要なときは母が用意してくれたのですが、白いご飯に必ず髪の毛が絡まっているのが悩みだったそう。いつも友達に見つからないよう、いったん口に入れて残った髪の毛をティッシュに出して、処分していたといいます。
聞いても仕方がないのでしょうが、それでもやはり「なぜ?」と思わずにはいられません。彩矢さんの両親は、どうしてゴミを捨てられなかったのか?
「母はもともと、捨てられないタイプの人ではないと思うんです。父の実家に住んでいたときはふつうに片付いていたし、家庭訪問のときも一部屋だけはきれいになるので。たぶん、子ども二人を養うのに仕事をしながら、父の借金のせいで頭を下げてまわったりしなきゃいけないなかで、ゴミを捨てて家をキレイにするというところまで気力がわかない感じ。ほかのことが大変すぎて、ゴミ屋敷で生活するのに慣れすぎちゃって、どんどんすごい家になっちゃったという感じでしたね」
なお、父親は文句を言っては怒るだけで、自分が片付けようという発想はまったくなかったようです。
もちろん、彩矢さんや妹にどうにかできるようなレベルのゴミの量でもありませんでした。そもそも「ゴミを片付けない環境」で育ってきた子どもたちが、そのゴミをどうすればいいかなど、想像できないでしょう。
同じ学校の子が一人もいない塾が救いになった
中学生の頃、彩矢さんの救いとなったのは塾でした。夫の借金で苦労しながらも、母親は娘たちを遠方の塾にバスで通わせてくれたのです。彩矢さんはその塾のことをしきりに感謝するのですが、何がそんなによかったのでしょうか。
「同じ学校の子が一人もいない塾だったので、嫌なことがあったときも、そこに行けば全然違う友達や先生がいるのが救いでした。優等生っぽくしなくてもいいし、友達から噂が流れる心配もない。本当に解放的に友達関係を築けたので。自分が人と違う環境で育っていることを忘れられる場所があったのが、精神衛生的にすごくよかったなって思います」
逆にこの言葉から、彩矢さんがふだん学校でどれだけ気を張って過ごしていたかが伝わってきました。もしやと思って尋ねると、父親はやはり、彩矢さんの同級生の親たちからも借金をしていたようです。
「私は母の頑張りも見ていたので、『親がああだから子どももそうなのね』っていうのは、絶対に言われたくなかったんです。『借金がこんなにあって、家庭環境がめちゃくちゃなのに、よくこんないい子に育ったね』って言われるように頑張ろうって、いつも思っていて。だから学校ではいつも優等生で、先生受けもよかったんですけれど、家ではヒステリックで、物に当たったり、キーキー叫んだりしていました」
勉強はやればやった分だけ順位が上がるのも、彩矢さんにとっては拠りどころになりました。「ゴミ屋敷から抜け出すには、県外の大学に進学するしかない」と思っていたこともあり、中学、高校時代は毎日4、5時間、休みの日はもっと勉強していたといいます。
大学受験をするときは、受験料や交通宿泊費のことで母からだいぶ叱られたものの、なんとか進学を果たし、「ゴミ屋敷」とはついに決別することに。以来、滅多に実家には帰っていませんが、関係が悪いわけではないので「いまも母や妹とは、しょっちゅう連絡をとっている」ということです。
子どもが親の尻拭いをいつまで続けるのか問題
3年前に結婚し、いまは気の合う友人や職場にも恵まれているという彩矢さんですが、「もしちょっと歯車がずれていたら、私も今の状況にはなれなかった」と話します。
「街にいるちょっとやんちゃしている感じの子とか、ニュースで見かける貧困家庭だったり、そういうのを見かけると、『私もそうだったかもしれない』ってすごく思います。あの塾に通えたから、それに周りの友達が『おまえ汚ねえな』とか『いつも同じ服だな』とか言わない環境だったから、私はなんとか運よく生きてこられただけで、そういう子たちを、あまりひとごとに思えないんです。
だからこそ『その世界だけじゃないんだよ』というのを忘れないでほしいと思って。自分でなんとかできる、なんてきれいごとは簡単に言えることじゃないですけれど、『何かきっかけがあれば、変われるのにな』っていうのは、すごく思っちゃうんですよね。もったいないなって思っちゃいます」
いまの最大の悩みは、両親への資金援助をどこまで続けるべきかということです。彩矢さんの両親は、今も昔もお金がないのになぜかあまり節約はせず、つねに自転車操業で生活しているため、彩矢さんは就職してから毎年100万円近くを渡し続けてきました。でもこれからは、彩矢さんも自分の子育てや家の購入にお金をかけたいと考えています。
「友人や夫に『仕送りをいっぱいしちゃったから、残高がほとんどない』と話すと、『そんなのやめたほうがいいよ』とか『親は親だし、自分の人生を生きたほうがいいよ』と言われるんですけれど。じゃあ本当に私や妹が完全に支援をやめたら、あの人たちどうするんだよ、みたいな感じですね。両親は自己破産しているんですけれど、でも他の人から借りたお金とかもいっぱい返さなきゃいけないはずで。
私自身も、若干の後ろめたさはあります。両親がいろんなところに借金して、誰かの生活費を削って私は育っていたんだ、みたいな罪悪感は心のどこかにずっとあるので。だから人生が100%幸せっていうのは、私は一生言えないんじゃないかなと思います」
おそらくきっと、羨望や恨めしさを感じる人はいるでしょう。経済的な理由で進学をあきらめる人も多いのに、周囲に借りたお金で大学に通うなんて。怒りの矛先を、つい彩矢さんに向けたくなる人もいるであろうことは、彼女自身も「わかっている」といいます。
それでもやはり、彩矢さんが何も悪くないのは確かです。その親のもとにたまたま生まれただけの子どもが、どこまで親の尻拭いをし続けなければならないのか? 彩矢さんには、やはりもう、両親にお金を渡さないでもらえたらと、筆者も思うのでした。